レビュー詳細

音楽にはさまざまな良さがあるが、その中のひとつに時間軸をともなった表現が出来ることがあると思う。言葉に、感情に、時間軸というあゆみを乗せられること。歌詞で表現されることばの咀嚼速度を完全に制御できること。それでいて、物語ほどにはのめりこみを必要としないこと。「ふと気づいたら進んでいた」を自然に表現できるところを、私は私が音楽という表現を好きになったひとつの理由だと思っている。

なので私は、「長尺でじわじわと展開するバラード」のことが好きだ。

「長尺でじわじわと展開するバラード」といってよく思い浮かぶものにはおおむね2種類ある。ひとつは主に1番のサビ終わりなど、特定のタイミングでぐんっとボルテージを上げそれまでの展開を裏切るもの。もうひとつはまるでアハ体験のように、曲終わりのころにふと冒頭を思い返すと「あれ?」となる、おだやかな上昇を行うもの。たぶん、これを読んでいる皆も「あー、なるほど、ああいうのね。」となる作品がひとつふたつあると思う。ではこの曲はどちらなのか?というと、自分で2種類あるなんて書き始めておいてなんなのだけれど、ぜつみょうな場所に居る。強いて言えば、後者寄りのミックス型だ。

テーマはたぶん、哀と愛。哀と愛をかかえながらもがき生きる、そのこころのうちを繊細に神秘的にうたう曲。小さくて大きなテーマだ。だから、音楽も小さくて大きく展開する。
強烈な一撃はやってこない。おだやかなピアノとウィスパーボイスの初音ミクによる音数少ない吐露からはじまり、しずかにしずかに厚みを増していく。サビで入る雄大なストリングス。初音ミクの声も倍音を増して。けれども絶対的な一撃はやってこないまま、2番の頭ではまた元の調子に戻っていく――ようで、実は戻り切っていない、そんな。そんな小さな衝撃を積み重ねていく。それは流し聞きでは意識に入り込んでこない程度のもので、だけれどたしかに脳に衝撃をあたえる。おだやかな満足感。

こころのうちを、堂々巡りの思考ともがきと人生を思うとき。自分がそういう状況に置かれているときを思い浮かべると、その最中は一歩も進んでいないような何の変化も生じていないような感覚があるものの、後からふと振り返ると「あれ?」と思う、そんなふうになっているときが多くある。そんな、ちょっと離れたところから俯瞰しないと分からないような微々たるあゆみを音楽にするなら、この曲みたいになるのかもしれない。

曲を聴き終わったとき、ふと気づけばずいぶん遠くまで来ていたことに気づく。それがなんだかここちよくて、なんだかちょっと泣けてしまった。

2023.06.07

レビュアー:御丹宮くるみ

#3拍子#VOCALOID#ききいる#バラード#初音ミク#孤独感#長文レビュー

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