“六月の終わり”の歌詞の中には、京都の言葉が使われています。わかりやすいものだと、“四条通”や“西大路四条”、“鴨川”があります。他にも“空の見える南側 この坂を下ル”という一節があります。(「下ル」と書いて、「さがる」と読んでいます。)
実は、京都の住所をいい表すには、京都御所(長岡京から平安京に都が移る。それ以来東京へと都が移るまで、天皇がお住まいにであった場所のこと)からみて、北の方向を上る(あがる)、南の方向を下る(さがる)と呼ぶそうです。
ちなみに西は西入ル(にしいる)、東は東入ル(ひがしいる)というそうです。歌詞中の“何処行こうか 帰路入ル(きろいる)のか”の“帰路入ル”は、おそらく西入ルや東入ルの文字りでしょう。また、“この坂を下ル”の坂は、おそらく清水寺へと続く二年坂や三年坂、清水坂のことを指しているのかもしれませんね。
また、この曲には掛詞(かけことば)や枕詞(まくらことば)が使われています。
掛詞(かけことば)とは、一つの言葉に複数の意味をもたせたものを指します。“僕はここで 君はどこへ/あの日もきょうも”と“何処へ行こうか 帰路入ルのか/きょうの景色は”の“きょう”は「今日」と「京」を掛けています。
少し後の一節では“だけど僕は今日もまたこの坂を下ル”と、「今日」を使っているため、あえてひらがなを使っているといえるでしょう。また、この箇所だけ「今日」を使うことで、過去ではなくて今という時間を意識していることがわかります。
枕詞(まくらことば)とは、“六月の終わり”で使われているものはおそらく、和歌などに使われる古典的な修飾語で、特定の語句の前に置かれる語句のことをさします。
“何処行こうか 梅雨往くのか/いりひなすように/隠れて想うだけど今は”の“いりひなす”です。漢字で「入り日なす」と書きます。隠る(歌詞では“隠れ”)にかかります。「隠る」とは、死ぬことを遠回しに表現する言葉です。入日のように消えてしまった=死んでしまったことをさします。
そのため歌詞中出てくる“君”は、亡くなっていると推測できます。
最後に、サビで繰り返し使われている“しとど”という言葉についてみていきます。
“しとどとは
雨や涙や汗などで、びっしょりと濡れるさま。”
(「日本語表現インフォ」より引用)
しとどになっているのは、何なのか。何がそうさせるのか。使われている一節をなぞり、想像すると自然とこみあげてくるものがあります。
最後だけ“しとど”ではなく“まだ少し、雨”という一節で、“六月の終わり”は締めくくられています。この雨は、しばらく降り続く。だから、今はまだ少しだけ泣くことを許してほしい。この曲を聴いていると、六月の終わりの空を見上げながら泣いている"僕"の心情が、まるで雨のように流れこんでくるのは私だけでしょうか。
いつか雨の日の京都をこの曲を聴きながら、歩いてみたいものです。
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